駄作と良作の定義

2月ですね。そろそろ2020年であることに戸惑わなくなった今日この頃にやっと今年初のブログです。

今更ながら、小川理事が言っていた『駄作』の定義について私なりの見解を。

小川理事が言う、『駄作』って多分、チケットが売れてない公演のことを言うんだろうなと直感的に思いました。だとしたら、2019年の宝塚歌劇団で『駄作』だった公演はないと思います。だって対外的にはチケット完売の作品がほとんどだったから。でもね、それって、所謂出演者ノルマを出演者に売り切っただけの作品もある訳で。タカラヅカ的な言葉で言うと、"内部余り"ってヤツはいくらでもありましたから。そして、作品として、ストーリーとして破綻していた公演さえも"退団公演だから"で売れた1年だったなと思うのです。

例えば、元月組2番手スターの美弥るりかさん退団公演の「夢現無双」。これ、どうでした?個人的な意見を述べると、宮本武蔵という人物像に対して珠城りょうさんのキャラが合っていなかったように思うし、お通もお通で生まれながらの貴族こと美園さくらちゃんには合わないし、そもそも武蔵の人生をたったの1時間半でやるには時間が足りなかったのに所々間延びしてるし、原作の良さも感じられなかったし、みんな心の声多すぎてダサいし、言葉を選ばなければバカクソつまらなくて睡眠に最適な作品だったと思います。あのような作品に通い詰めなければいけなかった美弥るりかさんのファンの皆さんに同情の気持ちしか湧きません。でもそんな公演でも贔屓が出ていれば、ましてや贔屓の退団公演であれば、ムラも東宝も通わないという選択肢はありませんよね。だから売れてたわけです。

他にも、元花組トップスター明日海りおさんの退団公演だった「A FAIRY TAILー青い薔薇の精ー」。これ、景子先生ならではのファンタジーキラキラな世界観、舞台セットはとっても素敵だったと思うんですけど、正直ストーリーに関しては設定ガバガバで見てて不安になりました。閉じ込められたはずのエリュ他精霊の皆様、なんでロンドンに来ちゃってんの?精霊は人間に干渉しないと言いつつ、めちゃくちゃ干渉しちゃってんじゃん、女神様!とか言い始めればいくらでも設定がガバガバなことに対しての不満が出てきます。こんな作品でも、超絶チケット難で、当然友の会は友達になどなってくれませんでしたし、生徒席も中々回ってこなかったです。それに加えて某高額転売サイトでは、千秋楽等のチケットが50万円で転売されていたり、なんならただのライブビューイングのチケットでさえ2万円3万円で転売されていましたよね。何が評価されてそんなにも価値が上がったのか、一目瞭然ですよね。明日海りおさんの退団公演だからです。

このように、2019年は"退団公演だから"で売れていたけれど、ストーリー的には『駄作』な公演がいくつかあったと私は考えます。
ただ、これは私の定義であって、小川理事の定義ではなく、劇団の意ではありません。

ただ、小川理事のように『駄作』を出した演出家は~云々言うのであれば、正直な話、まず最初に劇団として生徒の人気や、原作の人気に頼った作品作りを辞めることをオススメします。演目の四季、役者の宝塚なのは重々承知しているのですが、チケット代値上げの理由の一部に「演出の多様化」を挙げるのであれば、役者に頼りきりな演出をやめ、演目も役者もいいねタカラヅカと言われるような劇団になるべきだと考えます。

最近上演している作品が駄作だどーだ風が吹かないだの吹いてるだの言われているので今更ながらこんな記事を書きましたが、ま、そんなの人の主観で人の勝手なので、どーでもいいヤンケと思うんでしょうが、書いただけ楽しかったです。

ちなみに私は、エルハポンも眩燿の谷もめちゃくちゃ好きですが、ワンスは普通に無理です。嫌いです、フィナーレ以外。以上。

それではまたいつか。